あたしたちは毎日生まれて、死ぬのかも知れない。
こんなアーバンな東京という街で暮らしていても
朝目覚めたとき、太陽はなんてすがすがしいのとか
あの人の涙はなんて美しいのとか
この季節の木々はちっちゃな幼稚園だねとか
そう肌で感じる感覚は、
私たちの身体が水でできているからだと思った。
このあいだ、屋久島へ行って参りました。
恋人と本屋さんにいったとき、
偶然手に取ったガイドブックで見た杉の木と
故郷オリンピアを彷彿とさせる苔の森に会いにいきたくて
衝動的にとった航空券。
そこからわたしたちの旅ははじまったのです。
それ以外の事前情報も無い中の旅、
目の前に突然広がったのは
なんとも大きな緑の塊、でした。
到着初日は未だ島のリズムが掴めなくて
港町をふらふらと歩き回って
島の名産、ポンカンとタンジェリン(オレンジ)の間の子
「タンカン」を至る所で貰ってはもぐもぐかじって、
また歩き回って過ごしたものの。
2日目、3日目と
縄文杉トレッキング→山小屋泊→
九州最高峰の宮之浦岳(標高1936m)への登山を制覇して
自分たちの何万倍、何億倍も大きな命の存在と
出会うことができました。
余りにも情報量が多い旅で、体力的にもタフで、
全ての出会いや見たもの感じたものを
思い出すことができないのですが、
その共通項はひとつ、水だったとしか言えない。
環境問題やバイオロジーに疎い私はうまく説明できないけれど
私たちが毎日息を吸って、水を飲み、
ご飯を食べて汗をかき、排泄するように、
この大きな島全体も、そこに住まう沢山の生命体からの
givingとrecievingの中で呼吸をし、
循環し、一つの生命体として生きている。
その強大な息吹を強く、感じたのです。
山肌を流れる雪解け水のせせらぎと、そこに濡れる苔やシダ。
その水が大きな流れとなってできた滝と、
そこから舞い上がる霧のうねり。
そして何より、湧き水の美味しかったこと。
私たちの汗や尿はまた土と水となって、
この山を流れていくのだろう。
これまで自分とは異物と信じて止まなかった
「自然」と「わたし」という存在が
ピキピキーンとつながった、そんな不思議な体験だったのです。
お世話になった民宿、ヒュッテフォーマサンヒロは
屋久島で出会って一緒になられたご夫婦が
3年前にスタートさせた素敵な場所。
地元の野菜や魚をふんだんに使った手作り料理と、
おふたりの細やかであたたかなおもてなし溢れるところで
おすすめ、ですよー
とにかく、屋久島でパワーをつけてから
毎日が新鮮で仕方ないのです。
いつも私は新しくて、周りからの恩恵のなかで
すっごく綺麗な水が流れている。
不確かなことは多くて、まだまだ私は未完成だけど
屋久島の命のように、わたしも強く、みずみずしくありたい。
そんなことを、最近は考えてました。
これからしばらく、こんな旅をしていきたいです。
Thanks Setaka for being the best traveling partner...
Mar 8, 2009
水を辿る旅 this travel following water
at 7:33 PM
topics 旅のことば - travel words
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
0 comments:
Post a Comment